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「田植歌」が、 聞こえていた頃。

「田植歌」が、 聞こえていた頃。

その歌は、
豊作祈願の「神事の歌」。
労働のツラさを
まぎらわせてくれた「仕事歌」。
忘れかけられた「郷土の歌」。
いつの頃からか歌い継がれる
栢山の「田植歌」。

 

 

小田原市、栢山。
このあたりは昔から稲作が盛んで、
かつては一円札に
その肖像が入っていた
小田原の偉人「二宮尊徳」も、
ここ栢山で生まれ、
「積小為大」の精神で、
田植えが終わったあとに捨てられた苗を、
荒地の水たまりに植えて、
一俵の籾を収穫したという
逸話を残している。

そんな栢山に「田植歌」という、
昔ながらの「仕事歌」が
残っている。
いや、正確に言うと、
「栢山田植歌保存会」のみなさんが
月に一回集まって練習をし、
小学生の授業や、
市民会館での
郷土芸能の催しなどをしながら、
細々と守り、
残している、
ときちんと言い直したほうが
いいかもしれない。

「仕事歌」というのは、
作業のツラさをまぎらわすために
生まれた歌のこと。
「栢山田植歌」は栢山で
いつの頃からか
田植えの時に歌い継がれてきた。
月に一回、
東栢山公民館の二階で
行われている練習にお邪魔すると、
会長の柏木文子さんが
「せっかく来てくださったから、
先に一度歌いましょうか?」と
こちらのスケジュールを
気づかってくれた。
机の上には、
歌詞が書かれた紙と
チョコレートのお菓子が置かれている。
「いつも通りやっていただいていいんです。
それを見に来させていただいたんですから」と
お願いすると、
「いつもは、
こうして集まっておしゃべりしながら、
練習してるの」と、
楽しそうに前置きをした後、
とりあえず一度歌うからと、
みなさんで歌って聞かせてくれた。

 

 

 

*「今日の〜田〜〜の〜〜エ〜たろじ〜の」
(エ〜〜タ〜チマ〜ス)  

*「たろじ」は「田主」(たあるじ= 田祭りを主宰する人)のことと思われる。
歌詞には、他に田植えの様子や栢山の風景の他、
鶴や亀のめでたい動物が読み込まれ、豊作の祈りが込められている。

 

なんとものどかで
ゆっくりとした歌なのだが、
そうかこれが
田植えのペースなのだなと気づき、
聞いているうちに
昔の田植えの光景が
脳裏に浮かんできた。
「栢山田植歌」には歌部分と、
囃子部分の、
二つのパートがあり交互に歌われ、
パートを変わりながら
歌うこともできる。

保存会のメンバーは現在11名。
農家以外の方も在籍している。
会長の柏木さんも実は農家ではない。
80歳以上のメンバーも
いらっしゃるのだが、
その方達も
田植えの手伝いをする年になる頃には
すでに田植え機が普及し始めており、
実際に田植歌を歌いながら
田植えをした記憶は薄いという。
そのため、
数少ない文献や、録音を頼りに、
年に一回の
「小田原民俗芸能保存協会後継者育成発表会」や、
地元の小学校の田植授業での実演、
講演会などの活動を行ってきた。  

取材の緊張が解けて
いつものおしゃべりに花が咲き出すと、
話題は前都知事の時事ネタから、
ご近所の情報、
はたまた市政に関する鋭い提言など
変幻自在。
しかも、
すべて笑い話にしてしまうので、
誰かが口を開くたびに爆笑の嵐。  

 

 

この地域に残る歌を
保存することに
意義を感じ取り組んでいるとはいえ、
実際にお聞きした
保存活動には苦労も多い。
しかし、
こうして明るく取り組めているのは、
もしかしたら
この楽しいおしゃべりの時間が、
みなさんにとって
そんな苦労をまぎらわせてくれる
「仕事歌」のような時間なのかもしれない。
そう思うと、
あふれる笑い声の中で、
本当に頭がさがる思いだった。

 

「栢山田植歌保存会」会長の柏木文子さん。
ご自身は農家ではないが、この「栢山田植歌」を
地域に残す意義を胸に、活動されている。
関係各所との調整や交渉など、柏木さんのご苦労は絶えない。
それでもこの会がいつも明るく楽しいから
みなさんが練習に集まってくるのだろう。

 


「栢山田植歌」は、
御殿場に残る田植歌の
影響が強いと言われている。
「栢山田植歌」の
始まりの時代こそ定かではないが、
御殿場は江戸時代に
小田原藩領だった時代があり、
小田原との経済交流も盛んで、
人の行き来が行われていた。
御殿場は高冷地で
田植えの時期が5月初旬と早く、
5月下旬に田植えを行う栢山や曽我とは
田植えの時期がずれるため、
明治期から昭和40年代はじめまで、
御殿場の「早乙女」が
出稼ぎにやってきていたそうだ。
その早乙女たちが、
御殿場の田植歌を伝えたのではないかと
言われている。
その後田植え機の普及とともに、
早乙女の出稼ぎもなくなり、
田植歌が田んぼで聞かれることもなくなった。  

その栢山の田植歌の元になった
御殿場地方の田植歌は、
その昔、
小田原藩稲葉氏から領内の村々へ、
田植の際の、
田祭的な派手な
歌舞音曲(カブオンギョク)禁止の
指令があったため、
もともとは田遊び神事であったものが変化した。
そのため、
田の神である太陽を迎える
歌・朝歌・昼歌・晩歌・田の
神送りなど古式を守った歌詞が伝わっており、
歌詞も五七調を基本とした
非常に古いタイプの田植歌と言われている。
なぜ御殿場には
このような古い田植歌が
残ったのかというと、
それには様々な地理的要因が複合的に重なり、
ことごとく外部からの流行などを遠ざけ、
その結果、
新しい変化に影響されることが少なく、
この古い歌が保存されてきたと考えられている。
一方、
「栢山田植歌」の特徴も、
仕事歌にもかかわらず
「ヤーノ」という囃し言葉があり、
これもやはり豊作祈願で行われる
民俗芸能の「田植え踊り」や
「田楽」の中で歌われる歌の特徴で、
御殿場の影響がうかがえる。
余談だが、
神事である「田楽」の方は、
その後、
田楽→猿楽→能楽・狂言と舞台芸能として発展し、
今日に至っている。

参考文献:「ふるさとの歌 ー駿河・伊豆の仕事歌・祝い歌ー」 佐藤隆 著


 

栢山田植歌の風景

 

 

 

桜井小学校の田植え実習で「田植歌」を披露。
毎年こうして近隣の小学校の田植え実習に出張し、
子ども達が田植歌に触れる機会をつくっている。
桜井小学校の田んぼは酒匂川沿いにあり晴れていれば
バックに富士山が見える。
思わず、電線や建物などなかったであろう昔の田園風景を思い浮かべる。

 

様子を見にきてくれたお孫さん。
自慢のお孫さんなのは、この表情を見ればわかります。
かわいい「早乙女」の衣装は、各自の手づくり。

 

 

:おとなりさんvol.10 2016.8.1発行号 掲載記事

 


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小田原市文化財課    
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平成29年度
小田原民俗芸能保存協会 後継者育成発表会
2017年 12月 9日(土)
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お問合せ:小田原市文化財課    
 0465・33・1717